こっちに来てから急遽決まったアムステルダム行き。
もともと予定には入っていなかったが、知人夫婦が住んでいるエンメンまで車で行けそうで、なおかつアムステルダムまで足を伸ばすってのもありかもとCくんが一念発起してレンタカーを手配、そしてCくんのルームメイトのAちゃんとかわるがわる運転して行く事になったオランダ。
まずはエンメンの知人夫婦に会いに行った。ハンブルグから大体3時間くらいだったか。エンメンまでの道はただひたすらのどかな牧草地が広がり、草をはむ牛や羊、タンブルウィードがごろごろ転がる牧歌的な風景に癒される。
エンメンで知人夫婦と束の間の再会を喜び、食事とお茶。アムステルダムへ寄って帰るんだと話すと、ぜひ一泊して行った方がいいと言われ、宿泊先も手配してくれた二人、アリエンとナターシャに感謝。
そして一路アムステルダムへ。
オランダらしい風車。
エンメンからとりあえず宿泊先に向かい(Almereというアムステルダムの隣の市、発音がわからん…アルメレでいいのかな)、その後ちょっとアムステルダムの街並みを見学しようと車を走らせた。生憎の雨模様だったけど。
次の日の朝、再度アムステルダム中央駅近くの地下ペイパーキングに車を停めてぶらぶらする。
運河。
そういえば自転車の国というイメージがあったなー。
どうも傾いている建物。地震ないんだろうけど、来たら一発で終わりだと日本出身らしいことを思う。
オランダといえばチーズ。
トラムが街を行き交う。
時にトラムすれすれに人々が歩いていたり。
広場。こういう広場、ヨーロッパは多い。
黄色い救急車。黄色い救急車っていうと日本だとなんか胡散臭い都市伝説だけど。
東京駅のモデルにもなっているアムステルダム中央駅。重厚。
我々夫婦が泊まらせて頂いたお宅はアリエンのご両親のお宅。オランダのことを色々聞いてみた。例えば英語。前から聞いてはいたが、オランダでは英語は本当に問題なく通じて(自分たちが今回行った場所では)とても楽だった。そんな印象を話すと、アリエンのお父さんのヘンリクがパンをつまみながら言った。
「オランダのような小国は、覇者の言語を話せないと生き残っていけなかったんだと思うね。日本も小さな島国かもしれないけど、海に囲まれているし独自の文化を発展・保全させる環境があったから鎖国とか含めて日本語のみでもやっていけてるんだと思う。だけどオランダなどのヨーロッパの小国は基本的に陸つながりだからね。やはり自分たちのアイデンティティを保つためには周りの大国とうまくやっていく必要があった。まあそのおかげかどうか、私は学者じゃないからわからないけど、大航海時代やその後の歴史を見てみるとオランダは結構いろんな所に食い込んでたりするわけで。大国と肩を並べて植民地政策やなんかに乗り出したしね。そういえば日本とも交流があったんじゃなかったか?」
そうですね、江戸時代は長崎の出島で交易してたと思います。
「そうだよね、日本と交流があったのは本当に興味深い歴史のワンシーンだね」
ヘンリクはスキンヘッドでがっちり体型で、なおかつ話している時は余り笑わない。と思うと突然大口開けて笑い出したりする。それでいてさり気ない気を遣ってくれる、とてもいいおじさんだった。奥さんのトーニャもゆったりとした話し方をする人で、とても優しいイメージ。Almereに来る前はアムステルダムに住んでいて、でもアムステルダムはもういいかなと思っているとのこと。そういえば関係ない話だけど、アムステルダムにはアンネ一家が住んでいた隠れ家があったんだよね、今回は行かなかったけど。
ヘンリクから福島のことを聞かれた。福島のことについてはヨーロッパでも話題になったし、原発に対する考えを変える必要があるかもしれないという議論にもなっているようだ。ヘンリクによるとオランダでは原発が少なく、稼働しているのは一つだけらしい。そういえばハンブルグからここに来るまでに風車をたくさん見かけた。風力発電とかも盛んなのだろうか。
「確かに風車といえばオランダというくらいに有名だけど、今現在、風力発電として事業が成り立っているのかといえば、まあちょっとそうも言えないなと思うね。オランダでは火力発電がメインだと思う。あと天然ガスがかなり豊富で、輸出もしているからね。エネルギー政策としてはクリーンなもの、という政策で、今後はもう原発は作らないと思うよこの国は。こないだも原発計画が凍結されたばかりだしね。日本のエネルギー政策は原発がメインなのかい?」
僕も専門家でないのでちょっと曖昧な情報ではありますが、原発がメインでなおかつ日本国内で原発は17あります。
「多すぎる!あんな地震のたくさん起こる国で!」
多すぎると思います、僕も。
「あとあの電力会社も、ちょっとおかしいんじゃないか?」
おかしいと思います、僕も。
「でも天然資源があまりなかったりすると仕方ないという側面もあるかもしれないな…第二次世界大戦の時もそれが理由だっただろう?」
ヘンリクは歴史好きで、こういう話題になると止まらなくなるとは奥さんのトーニャの談。
一度来てみたかったオランダ、こういう具合にとてもおもしろく刺激的な滞在となりました。またゆっくり訪ねたい。そうそう、僕の好きなサッカーチームはオランダ代表で好きな色はオレンジなんだと言ったら、ヘンリクが爆笑してた。最近弱いよ、と。
アムステルダムをあとにして一路ハンブルグへ。そしてハンブルグ最後の日となりました。ハンブルグから次はイタリア。
アムステルダムってVan Halenの歌であったなあ。たしか彼らの親の片方がオランダ人だったような。修学旅行でハウステンボスに行って、オランダの家のミニチュアとチーズを買ったのを思い出したよ。それにしても、外国に行ったときにその国の人達が、日本のことを本当に詳しく知っている反面、自分がその国のことを何も知らないことがあったりして恥ずかしく思うことがある。外国に行くときにはその国についていくらか学んでから行きたいものだ。ドイツで世話になったクロアチア人は、日本の四つの島の名前を言えたし、相撲の起源や、塩をまくのはどういう意味があるのか教えてくれとかいろいろ聞いてきた。自分の育った文化についても、説明出来るようでありたいものだ。
tomguitarbikeさん
オランダ語読みすると「ファン・ハラン」となるそうで。
海外に行くと、自分の国のことをきちんと学ばねばと思う。特に歴史、文化に対する理解は大切だよね。