父親の手術(2)

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今から20年前。脳梗塞に倒れたうちの父親。
リハビリを終えたうちの父親が家に帰ってきた。
そうして始まった半年ぶりの「父親のいる」生活は毎日がタタカイの日々だった。
しばらくたったある日、高校生の自分に訪れた転機。

言語障害が出て、自分の考えや思いを流ちょうに表現することが難しくなってしまったうちの父親は、すぐに手が出てしまう状態だった。ある日のこと。いつものようにあーでもないこーでもないと言い合いが始まった時のこと。
自分の方が父親に手を出してしまったのだ。
なぜそうなったかというケンカの理由は覚えていない。些細なことだったのだろうと思う。いがみ合いから突然父親が繰り出してきた右ストレートが僕の胸にヒットし、それにキレた僕が父親の胸をドンと押したのだ。今思うとまあバカ過ぎなんだけど、その時は病人ということが頭の中にあったので、かなり力を抜いて胸を押したように覚えている。するとうちの父親は、自分が想像していたよりもずっと簡単にへたっと床に座りこんでしまった。「おっと」と思った。まさかそんな簡単に座ってしまうとは思っていなかったし、すぐに反撃されるとばかり思っていた。うろ覚えだけど、そのあと急速にふたりとも黙りこくってしまって、よろよろとお互いの部屋へ戻っていった気がする。自分的には期せずして「ケンカに勝ってしまった」事実と、ベタだけど「父親を負かして(超えて)しまった」事実が複雑に交差して何とも言えない気持ちを部屋で味わっていたように思う。まあよく考えれば、別にそんなことで父親を超えるだの何だのって言う話になっていく訳じゃないし、親子の関係がどうこうなってしまうって訳でもないんだけど、ちょっと考えるきっかけを与えてくれた、いわば転機だった。

それ以来、二人の間のケンカはなくなっていった。ケンカというか、言い合いはあったし依然として父親から手を出されたりはしたけど、こっちはじっと我慢するようになった。成長、とかそういうわけじゃないと思う。ただ、件の日以来、自分の中で無意識に病人を相手にしているという線引きがされたような感じで。今思えば、もちろんうちの父親だっていろいろ感じてたんだろうなーとは思う。それと弟と妹にも各自それなりのタタカイがあったわけだし、もっと言うと、うちの母親にはそれ以上のタタカイと苦しみがあったはずなわけで。でも人間、その時はわからないんだよね。時が経つうちに次第にわかってくる。自分もこの歳になってやっとわかってくることがたくさんあった。特に、父親がやってきたことについて、生きていくことの熾烈さ、大変さ、愉しさ、外国人という生き方、エトセトラ。いやー生きていくって大変。

うちの弟は僕なんかよりもっと父親とぶつかってたしかなりのバトルをこなしていた。奴は、うちの父親に橋本真也ばりの蹴りを食らわした張本人でもある。この二人は本当によくぶつかっていた。奴自身が多感な時期に病に倒れた父親との接し方がわからないまま暗中模索だったんだろうなと勝手に思ってるけど、まあ聞いてみないとわからないとこでもある。で、こないだたまたま一緒になったうちの父親の病室で当時のことを聞くと、「俺も若かったしバカだったよなー。でもあの頃の記憶、あんま残ってないんだよね」と言っていた。奴は奴で、それなりの人生経験を積みいろいろなことにぶつかって結婚して子供もできてっていう中で、ようやく父親ってものと向き合ってその大きさというか大変さというかを実感していったのだと思う。まあみんな若かった。歳を重ねるごとにいろいろとわかるようになったんだっていう。年齢重ねるってのは大切なことですね。若いままでいようと思うより適切に年齢重ねて成長し続けた方がずっとためになる…とこやつを見てるとそう思うのであります。

で、そんなうちの父親、だいぶ小脳の腫れも引き、今は少しずつ歩くリハビリトレーニングを受けている。今いる病院にもう少し残って、その後に心臓を手術した病院に戻る予定。同時にその後に入るリハビリ病院も選定して手続きを進めている。最近は笑顔も戻り、感情もだいぶ落ち着き豊かになった。今後の生活を考えるとそれでも少し複雑な思いが否めなかったりもするけど、まあそうやって少しずつ元の生活に戻っていけばいいと思ってる。無理なものは無理と割り切り、自分にできることをやっていってくれればそれで良いな、と。当時より成長したんですよみんな。ええ。

最近思ってたことがある。結局自分は、最大限に父親の影響を受けてきたっていうことなんだけど。
うちの父親は自分にとって人生で最初の英語教師であり、MTを華麗に操る車好きであり、音楽教師にロックンローラーでもあった。そのどれもが、今の自分につながっているわけで。結局父親から英語の手ほどき(手ほどきというよりものすごいスパルタだったんだけど)を受けていなければ今の仕事につながっていないし、父親がいつも車はMTを選んでいなければ自分も車好きになることはなかっただろうし、家でギターを弾いていなければ自分もここまで音楽好きにはならなかったわけで(ちなみにうちの父親のギターヒーローはリッチーブラックモアとジェフベック)。それから性格的なところもかなり影響を受けている。うちの父親は外国人として日本で生活していて、その違いをいろいろと経験してきただろうと思う。特に一言で外国人といっても、その出身国によって他の日本人からの扱われ方や接し方ってのは違ってきたりするもので。その経験の中にたくさん様々なtipsがあって自分にもいろいろフィードバックしてくれた。たとえば小学生の頃、学校でいじめもどきみたいなことを経験した時や、人としてやってはいけないことをしてしまった時(嘘ついたり他人に失礼な態度とったり)に色々教えてくれたり叱られたり、また自らの行動で示してくれたことを覚えている。で、教えてくれたことをすごく短くまとめるとこうなる。

「人に媚びるな。違いを楽しめ。年齢に限らず尊敬できる人間には尊敬を。細部を詰められない人間に大きな仕事はできない。そして常に自分の考えを持って行動しろ。」

これは結局今の自分の生き方の基本になっている気がする。

実のところ、こういうプライベートな内容をブログで書くのはどうなのか、とも思ったんだけど、まあ20年前と違って21世紀だし、いろいろWebに駄文を書き連ねるっていう環境ができているんだし、そんなわけで自分の人生の備忘録のようなつもりで綴っておこうと思った。
生きている限り道は続くので、お互い、自分なりの歩き方で歩いて行ければ良いと思ってる。うちの父親も自分の足取りで歩いて行ってほしいなと。まあ口で伝えなきゃ意味ないんですが…照れもあってこんなWebの隅っこに書くだけになってしまっているおバカな自分をお許しください、フフフ。

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