五月の連休明け。
まあいつも通りの何の変哲もまとまりもないチラ裏的与太話駄文なんですけど。
連休中はちょこちょこと仕事ありだった。自分の場合、例年、年度末~年度明け~五月の連休前までがものすごい忙しくて、五月の連休中の駆け込みはないわけじゃないけど、あってもそんな大量にはないということが多い。五月に入るとぱたりと暇になったり。まあそんな感じなんだけど。
忙しいときはやたら忙しくて、忙しくないときはピタッと打診が止まったり来なくなったりするのにはもう慣れっこではある。この仕事をしていると、仕事量のフラット化はできないのだろうか…と思うんだけど、まあ思うだけ無駄というか。もちろん個人差はあるんだろうし、自分のコントロール修行が足りないとか、もっと割のいい仕事取っていかないとダメ、とか頭の中をぐるぐると回ったりもするけど。
とはいえ、稼げる時に稼いどけっていうのは翻訳に限らずフリーな人であれば誰でも持っていそうな意識だろうとも思う。かくして忙しい時は分身の術を何回も使いたくなるほど忙しくなってしまう。そしてそうでない閑散期と。ぐるぐる回る、スパイラル。
で個人的な考えの話だしどうでもいいことなんだけど、そういう忙しい時、「あー忙しい忙しい大変だ眠れてない一時間しかねてない徹夜だうわ」みたいな忙しいアピールじみたことはちょっとなーとか思ってて。いわゆる「地獄のミサワ化」したくないなっていうのと、あとは忙しいって意識しすぎて変な焦燥感を生み出したくないっていう。
焦燥感って厄介で、うまく利用してコントロールする分には集中力を生み出してプラス効果をもたらすことができるんだけど、キャパギリギリの時の焦燥感は仕事にネガティブな影響を与えたりするよなーとか思う。
それと緊張とか焦り、不安とかって、仕事してる時に結構経験したりするんだけど、その都度痛感することは、大抵のケースにおいて、緊張、焦り、不安って「動かない(動けない)ために生じるもの」のような気がする。動かないであーでもないこーでもないって思案し続けて、結果、うわーどうしようみたいな雰囲気になってしまうっていう。で、そういったネガティブ系雰囲気を解消する唯一の方法は、「動く」ってことだと思うなーと。
自分が動いて事態が動いてくると、色々見えてくる。どれくらいの労力と時間が各タスクに必要になりそうか、着手してみたら意外と進行が早められそうだとか、または思ったより時間がかかりそうだとか。色々と物事が見えてくれば、自ずと自分の取るべき道とかリソースの振り分けとかがうっすらと見えてくるわけで。
なので忙しいアピールしてかっこつけてその裏で焦ったりするより、さっさと動いて色々見定めてちゃっちゃか前向いて進んでった方がいいですね、はい。
っていうようなことを、「思考の整理学」を読んでて思った次第。