前のエントリ「忙しい、忙しくない」でも書いたんですけど。
暇なとき、ってのがあるわけですよ。そりゃ貧乏暇なしだし(自分は)、仕事が繁盛して仕事だらけでいつも忙しいよっていう方もいらっしゃるでしょうし、それは本当にいいことなんですけどね。
まあ仕事の流れがスローで、小さな案件がちょろちょろと入ってくる程度だったり、打診があまり来ないとき、要は閑散期っていうのがあると思うんです、自分だけに限らず、そして翻訳っていう仕事に限らず。
そんなときってさあ…っていうチラ裏的駄文。
前にも書いた焦りとか焦燥感っていうのは、仕事が詰まっている時よりも、実は仕事があまり来ない時なんかの方が強かったりするように思う。やべー仕事ないよーどうするよー、みたいな流れ。仕事ない→フリーの場合は確実に報酬が発生しない→生活苦!みたいな流れ。これも焦燥感だよねえ、あまり味わいたくないけど。ただこの場合は、焦燥感の「種類」が違うかもしれない。
仕事が詰まっている時の焦燥感は、一言で言えば、きちんと納品できるか、質を確保してきちんとした仕事ができるか、いややらねば…というような。それに引き替え仕事があまりない時の焦燥感は、仕事来ないな…干されたのかな、こないだのミスが原因か…それにしてもどうしてこないんだろう、やばいな、もう一週間まともな打診・依頼が来てない、やばいどうしよう…という感じの。前者を「動的焦燥感」と称せるならば、後者は「静的焦燥感」と呼べるかもしれない。造語だけど。
まあそれだけ、焦りの気持ちって嫌なもんなわけです。とは言ってもしょうがない。現実は現実。結局仕事があまり来なくて暇な時も動くしかないというか。そういうときこそ営業じゃん、勉強じゃん、自己投資じゃん!と前向いて進むしかないんだよなーと。休みを取っちゃう、とか。そういう時って、逆手に取れば、今後の営業戦略を立てたり実際に動いたりいろんな活動に身を割ける期間でもあるわけで。
ただここで注意したいのがSNSっていう気もしてるんだよね。SNSとかって、「超絶忙しーぜー」とか「ああもう納品だらけだ…にっちもさっちも動けぬ!」とかのつぶやきやポストは結構多いものの、「あー暇だ…」とか「仕事ない、どうしよう、暇怖いよう」とかそういうのってあまり見ない気がする。何が言いたいかというと、SNS上では暇だよアピールってあまりしない(傾向にある)っていうこと。それとですね、自分が暇になってしまっている時にSNSで忙しく仕事に精を出しているみなさんを横目にすると、より一層の焦燥感があふれ出てしまって桁あふれバッファオーバーフローに陥っちまうっていう可能性をはらんでいる、ってことなんすよねー。人って、他人と自分を比較すると結局自分が負けるんですよねー。で、忙しくしている人と暇な自分を天秤にかけて「うわっ…私の年収、低すぎ?」となってしまう、というか。そうなっちゃうともうダウンスパイラルに陥ってしまう可能性が強い。まあそれを逆にバネにしてステップアップするっていう手もあるけど。っていうか、結局仕事が来る/来ないなんて自分の実力を如実に現しているので、きっちり現実見据えて動いていかないと「あーダメ自分ダメ」ってなって仕事どこじゃなくなっちゃうのかもなーとかぼんやり思うんですけどね。現実見て受け入れてっていう、ちょいと痛いかもしれないプロセスを踏まないとそこから出らんないしなーと。
なので暇なときは自分をしっかり保って戦略を持ちつつ動いていった方が良いなと思った次第です。それと他人と自分を比べたくなったらひとまずそれは止めて、過去の自分と現在の自分を比べた方が良いなと思った次第。TwitterとかFBとかでいろんな人と交流するのもいいけど、そこから受ける(可能性のある)ネガティブな影響もきっちり自分でコントロールしてった方が良いよね。結局動いてるのは自分だし。あ、でもネガティブな影響って、自分で作り出してる場合が多々あるかも。いかにして客観的になれるか、自分の状態とかを客観視できるかって、とてもとても大事な気がするなー。
何だか主観丸出しな文章だな。まずお前がちゃんとやれ。はい。客観的観点を育みつつ前進する所存であります。あ、いや、とりあえず暇なんすよ。ええ。暇怖いよう。なんて。
こっちも、金にならない仕事は相変わらず忙しいが、金になる仕事は再度調整が必要で、この先どうなるかわからいけど、まあどうにかなるだろうってかんじで、のんきに自転車のベアリングにグリスつめてるよ。
tomguitarbikeさん
そうかー仕切り直しかー仕事。お疲れ。
そのうちスタジオ行きたいな。