翻訳以外の仕事の話

この話題は古いブログで前にもしたことあったけど、そのブログはもう閉じちゃってるのでこっちに載せる。

古本屋チェーン店
大手古本チェーンのブックオフ。本が好きだ、という理由だけでそこでバイトを始めたんだっけなー、確か。ここはやまびこ式の挨拶(あの「いらっしゃいませー」&「ありがとうございましたー」)と社訓(のようなもの、唱和とも言っていた)を最初に覚えさせられた覚えがある、今はどうかわからないけど。でもたまに店舗とか行くと、まだまだあの挨拶方式は健在のようで。やってた仕事はレジ一般、買取査定、出張買取、ってとこか。出張買取が好きでよく行かせてもらっていた。この頃は免許取り立てだったので若葉マークを買取車につけてぐるぐる回っていた覚えがある。あと買取車を電柱にこすった。大量に買取希望の本やCDがあるお客さんの家で、なぜかお昼にチャーハンをご馳走してもらったこともあったし、夜のオネエサン的なお客さんに「あのさ、あたし盛大に二日酔いなわけ。だから適当にお金ここに置いとくからお願いだから寝かせてネ」とか言われてその場で横になられたこともあったし、「大人の絵本」ばかり(一目で買い取れないクオリティと分かる)ダンボール箱で50箱査定して、買取額0円ですねと伝えると泣かれたり、色々なことがあった。
店舗では主にCDを担当。お客さんから買い取ったCDを研磨機にかけて磨き、必要な場合はケースを交換して売り場に出す。音楽が好きだったので、いろんな特集を組んで棚を構築するのが面白かった。80’s特集とか洋楽特集とか。自分の組む特集は、自慢じゃないけど結構評判良かったらしい(当時の店長に言われた)。本やCD、ゲームソフトの買取査定なんかも店舗で受け付けていた。自分がいた頃で確か、新刊は定価の半額、それ以外は本の発行年月日と状態順に最安値で10円だった気がする。クレーム付けられたこともよくあった。買取金額安すぎだろボケが!なんてフロアで叫ばれたこともあったし。あ、あと今思い出したけど、万引き犯を取り押さえたこともあった。高校生。
人間関係は至って良好。バイト店員はだいたい大学生で、月に二回くらいは飲み会やってた気がする。特に参加してなかったけど(未成年だったし)。みんな優しく良い人ばかりで、人間関係で悩んだことはなかった。ただ社員とバイトの間の溝は結構深かった気がする。店長・副店長はあまり好かれてなかった。原因はよくわからないけど、一人のバイト仲間によると「無茶ばっかり要求してくんだよねー、例えば、今月中に売上倍に伸ばせとか言われて、どうやったらいいですかね、って聞くと、自分で考えろよ、とか言われてさ」とか。まあそれを無茶と取るか挑戦と取るかは人それぞれだとは思うけど、とにかくまあ当時のバイト連中から店長たち社員は嫌がられてた。どこの業界でもあるんだろうけど。今だから言えるけど、自分の欲しかった本を少し安く値付して、ストッカーに入れといてあとで買って帰る、なんてこともやっちゃってた。知り合いに頼まれた本とかCDとかを取り置きしたりとかも。色々思い出すもんだなー。

新築マンションのワックス施工
このバイトは書いてのとおり、お客さんの入居前に、各部屋のフローリングにワックスを塗っておくというもの。ワックスを施工する下請けの会社でバイトしてたんだけど、それを受けてくる親会社にとっては美味しい仕事だったらしい。っていうのも、マンションのような一世一代的な買い物したお客さんの金銭感覚の麻痺につけ込んで、ワックス施工だけでワックス代込で20万とか30万とかで仕事を取ってきてたんだとか。当時一緒に働いていた先輩的なバイト仲間が漏らしてた、「もうさ、ボッタクリもいいとこだよホント」と。日給制だったんだけど、一日で1万5千くらいもらえてた気がする。それこそ朝一から暗くなるまでひたすら空き室のワックスを塗りまくるという仕事だった。一日が終わる頃にはワックスで手がガビガビになるし、冬場だったから5時近くはもう真っ暗になってしまい、電気がまだ通ってない現場もあったので暗闇のなかでワックスを塗るという何ともストイックな仕事だった。何回か、田園調布のマンションにこの仕事で入ったことがあるんだけど、それはもうものすごい広さと部屋数の多さで、ただただ疲れた。6LDKとかアホかと。自分のような庶民とはまったく違う世界という。
たまにお客さんのクレームが入った。大抵のクレームはワックスのかすれが原因。そういう時は、大抵二人一チームでお客さんのところへ行き、塗りなおしをして修正をする。話好きなおばあちゃんとかに捕まって、話だけして帰ってきたこともあった。その場で現金支払だったんけど、お金取れませんよねーって感じのことを言ったらおばあちゃんは「いやいや今日はあんたらに来てもらって本当に感謝してるんだよ、だからお金は払わせてくれ」と言うので、一応お金を受け取る前にひと塗りして帰ってきたこともあったし。今でも続いてるんだろうか、この手の仕事って。自分だったら自分でやってしまうだろうな。

カーペットクリーニング
このバイトは、今の自分にも深く関わっていたような気がする。なぜかというと、社長がアメリカンで、作業場も基本的に米軍基地内の施設だったので。なので、関連業務は報告や施設の管理者とのやりとりも含めて英語だった。この仕事を通して、英語を使って他人とコミュニケーションを取り、英語で仕事をするということの実務と実際を学ぶきっかけとなった気がする。ここでの経験は今の自分の仕事にも役立っているし。
仕事の内容はカーペットクリーニングと、家具類の清掃。現場は、都内の会員制クラブ、米軍基地内の施設(士官のみのオフィサーズクラブやレストラン、映画館等)、都内の一般人宅(主に海外の外交官・商社マン宅)だった。専用の洗浄剤とお湯を専用クリーナーに投入して汚れを溶かして掻きだして吸い込む、というプロセス。特に重労働というわけでもなかったけど、都内の会員制外国人クラブのクリーニングの場合は、労働時間は主に深夜から早朝にかけてだからいわゆる夜シフト。パーティーやイベント等が終わってからの仕事になるため、いろんな料理が残っていて自由に食べることもできた(途中から禁止になった)。で、ここの現場は会員制クラブという性質上、駐車場に停められた車はベンツ、BMWはおろか、フェラーリ、マセラッティ、アストンマーチン、ジャガーなどの色とりどりの高級車がズラリ。クリーニング開始前の空き時間に、それらの高級車をじっくりと眺めるのがとても楽しかったことを覚えている。特にカウンタックなどのデザインで有名なガンディーニによるマセラッティ・クワトロポルテはかっこ良かった。
それと、アメリカンの社長。彼はとても陽気なフロリダ出身の退役軍人で、今でも年に数回会う仲。しょっちゅうジョークを飛ばしながら仕事する姿がとても新鮮だった。そして二言目には”Back in Florida…”と口にし、すぐにフロリダ時代の話にすり替えるクセがあって、同僚たちから”Not again!!”とよく言われていたのを思い出す。ここでバイトしていたときはまだ高校でたばかりで、英語もよく話せなかったけど、社長は僕のつたない英語を特に何の文句も言わずいつもニコニコと聴いててくれた。報告書もよく英語で書いたなあ。ライティングを勉強する格好の実技の場だった。精一杯だったけど。ここでの経験をとっかかりに本格的に英語を勉強した。弟と一緒に仕事に入ってたんだけど、その後ここのバイトは結局やめてしまった。でも自分のその後に大きな影響を残した仕事だった。弟はしばらく続けてたけど。

酒類卸問屋
ここは結構長いこと働いていた。まだ酒が飲めない19の頃から働き出して今の仕事につながる小さなソフトウェアハウスに移るまでだったと思う。仕事の内容は基本的に倉庫番みたいなことだった。問屋なのでメーカーの営業やメーカー直送で飲料品が運ばれてくるし、地元の酒屋、飲み屋も来るし、いつもそこそこ忙しかった覚えがある。配送もやっていたので、常時トラックが在中していて運転手も5,6人いた。二階が事務所になっていて、そこから各店に卸す荷物の伝票が降りてきて、それをもとに荷物を仕分けしてトラックに乗せて配送、メーカーから納入トラック・トレーラーが来ればそれらの荷物を下ろして搬入。フォークリフトなども使っていた。免許は取りに行かなかったけど、リフトの操作はここで覚えた。あれって結構難しくて、車と違って後輪が操舵の役をするんだよね。左右いずれにしろ回転させたら回転させた分だけ戻さないと車体はぐるぐる回りっぱなし。なおかつリフトだから荷物パレット(ビールなどを置くプラスチックや木材の板)を爪で刺して持ち上げ、パレット荷物を重ねたりしないといけないので、三次元的に考えないと駄目だったり。慣れてくると面白い乗り物ではあった。
でも失敗談も。ある時、キリンビールの8tトラックが納入にやってきて、お昼時で倉庫に誰もいなかったのでしょうがなく自分が事務所から出てリフトで納品作業をしていたんだけど、キリンラガーの大瓶パレット(一つのパレットに瓶ビールケースが6ケース*4段で24ケース)をトラックから下ろしたことがあった。リフトの爪をパレットに刺して少し上げて車体を後退させたんだけど、爪の刺し方が甘かったようで、そのまま気づかず車体を後退させ続けてしまったもんだから、パレットはズリズリとずれていってそのまま地面にドシャーン。砕け散るビール瓶、夏場だったので砕けるというより破裂していくビール瓶。ほぼすべてのケースのビール瓶を割ってしまったことがあった。キリンの運転手は結構いい人で、「あらー。地面に飲ませちゃったねー。よくあるんだよねー」なんて言って、青くなっているこっちをよそに爆笑。ジリジリと焦がすような太陽のもとでビールの香りがふんわりと。支店長と倉庫長からは特に何のお咎めもなく「とりあえず次から気をつけてね」と言われたくらいだったんだけど、あの時の損害はどう処理されたんだろうか今は知る由もなく。
配送の運転手なんかも結構個性的な人が多かった。バス釣り命な人、族上がりの人、デコトラマニア、F1命。営業にも面白い人が結構いた。営業に入ってきた人で、ボクサーあがりのアベちゃんって人がいて、その人がまた軽いノリでバイト仲間の間でかなりウケてた。突然シャドウボクシングを始めると、「sniperくんは学生時代、スポーツやってたの?俺?ボクシング!」とか言い出したりしてみんなで笑ってた。この人はとにかく駅前での武勇伝が多い人でその武勇伝で昼休みが潰れてしまうほど。でもその時乗っていたシビックのアルミホイールをあげるよ、と言い残して彼は3ヶ月位で会社に来なくなってしまった。面白い人だったんだけどなー。アルミホイールももらえず。
ここでは6年くらい働いてたと思うけど、ありとあらゆるお酒を扱っていたおかげで、お酒の飲み方や銘柄や何かの勉強ができて、ある意味大人の勉強になったという感じでした。あと、お酒のディスカウントショップと地元の酒屋の対立構造とかを直に見る機会もあった。やはり大型ディスカウントショップが街の真ん中にどんと建つと、その周りの小さな酒屋などにもろに影響が出るようで、何件か廃業していった酒屋も見た。まあ何だかんだで自分がやめた一年半後くらいにこの問屋自体も閉鎖されてしまったんだけど。結局そういう大型ディスカウントショップって問屋を介さずメーカーと直に取引して納入するから、かなり安い価格設定にできるというのが一番の原因なのだと。今はどうかよく分からないけど、自分が働いていたときはそう聞いていた。働きやすい良い職場だったけど。

不動産事務所
ここはフリーランスなりたての頃にかけ持ちしてたバイト先で、自宅から歩いて3分くらいのところにあった事務所。社長が基本的に売買を担当し、メインは駐車場と賃貸アパート・マンションだった。やってた仕事は書類作り、物件の管理、サイトに載せるための写真撮影、クレーム処理、契約補助、その他諸々。ここの特徴は後にも先にも社長の人柄だった。人柄っていうか、まあ不動産業界にはありがちなのかもしれない(どうかな)けど、気分屋ヤクザな感じ。うまく回っているときはすごい機嫌がいいんだけど、ちょっとでもおかしなことがあるとトバッチリがものすごいというか。よく怒鳴られたほんとに。電話対応がなってない、このチラシの作り方は意味が無い、看板の貼り方がおかしい、色々。不動産業界初めてだったので、いろいろ衝撃で結構疲れたのも事実。
でも、社長のことは嫌いってわけじゃなかった。人間的ですごい人情ある人だったし。うちの奥さんが流産してしまい、事務所にいた僕に電話掛かってきた時も「今日と明日は一緒にいてやれ。あれは辛いことなんだ…」と遠くを見つめながら言ってくれたし、不動産業界のことを色々と教えてくれたりもした。その話がまた結構面白くて、この業界のどういうところが駄目で良くするためにはこうこうしなきゃいけないんだけど結局金持ってる奴が強いから俺は50までに8億貯める、とか。事務所での普段の仕事もPCを使ったものがメインとなるため、急ぎの翻訳案件とか来た時に密かに自分の机でちゃちゃっと仕上げて、そのままそそくさと物件確認に出る、とかもできた。それから同僚の人たちも良い人で。自分より年上の女性事務員がお二人でしたが、いつもいつも書類の抜けとかをきっちりそれでいて優しく教えてくれたのは今でも感謝。やめた時も鍋屋でおごってくれたし。
ただ、業界的にすごい横のつながりが強い業界で、ネガティブな意味でも横のつながりはすごかった。というのも、ここの不動産屋とは仲良いけどここから電話きたときは適当にあしらっとけ、みたいな感じだったのだ。それから、パチンコ関係のオーナーは大抵がアングラ的なヤのつく業界な方々が多かった気がする。
一度、とあるパチンコ屋オーナーの事務所に契約更新書類を持って行ってくれと頼まれて持って行ったことがあったんだけど、そこの事務所がまた典型的な感じで。ビルの一室だったんだけど、中はもうドドーンと広い事務所。ビルの一室というより、ワンフロアを一気にぶちぬいてリフォームしてある事務所で。よくありがちな黒い革張りの応接セットに若い衆の方々が座っていて、ふと気づくと隣に等身大の木彫りの見返り美人。そして「根性」という掛け軸のようなものと日本刀。こりゃまたすごいとこに来ちゃったなと思って恐る恐る名を名乗った後「社長さんは…」と伺うと、「何だお前は」と。今言ったのにと思いつつも再度名を名乗ると、奥の扉が開いてウィンドブレーカーの上下に身を包んだ社長と思しき人物が登場。「おうお前ら、この人はいいんだよ。ここの契約書の更新書類を持ってきてもらったんだからよ」と口を開くと、ソファの全員が起立して「わかりやした」と。なんとも分かりやすい雰囲気。ここの事務所だけかもしれないけど何だかテレビドラマみたいな感じで。それでとりあえず書類を渡して、社長室に通してもらってお茶を御馳走になり、社長の昨今における日本とそれをとりまく経済状況にまつわるエトセトラ的な演説をひとしきり聞いた後に、恭しく退出させてもらった。これはこれでとても興味深い経験だったなー。あと不動産事務所って、地元の政治家たちと結構密接に結びついたりしている。何人かの市議会議員を紹介されたし、選挙の時はぜひ我々自民党に!みたいな。社長が自民党な人でなおかつ政治には積極的だった。
また、管理物件によっては、やっぱり住む層が分けられていて、それなりのマンションには独身貴族、ワンルームは学生、アパート(きれいなものからボロいものまでピンきり)によっても層が分かれているというの事実だったと思う。何が言いたいかというと、この不景気に煽りを受けて大変な暮らしを余儀なくされている人がかなりの数住んでいたということだ。しかもそのほとんどが高齢者。まさに現日本の縮図。

ある小雨の降る朝に事務所へ行くと、社長が電話をひっきりなしに取ったりかけ直したりしていた。で社長が受話器を押さえて一言、「孤独死出ちゃったよ、**アパート、205」と。アパート名と部屋番号をメモし、多分確認に行くことになりそうだなと思っていたので該当する部屋の鍵を取ってくる。案の定「よし、確認いくぞ」と社長に促され車を回した。アパートまでの道すがら状況を聞くと、故人はひとり暮らしの高齢者(男性)で、発見は新聞配達(夕刊)の男性。しばらく新聞がたまっていることを不審に思い、郵便受けから中を覗くと足が見えて呼びかけにも応じなかったので念の為に警察に通報したそう。現場に到着して部屋の鍵を開ける。こんなことは後にも先にも初体験でちょっと手が震えた。遺体はすでに発見後まもなく運び去られており、室内は無臭。警察に確認したところ、特に腐敗もしておらず死亡推定時刻の辺りで発見されたのではないか、とのことだった。でもそれまで一人の人間が生活を営んでいたそのままの姿が室内には残されていた。飲みかけのお茶、亡くなった時に使用していたと思われる布団と枕のそばに転がっているテレビのリモコン。付けっぱなしになっている炊飯器。きちんと積まれている雑誌と新聞。几帳面な人だったと見えて、散らかっている印象は受けなかった。なんとも複雑な感情に囚われてしばし立ち尽くしてしまった。僕には彼のそれまでの人生を知る由もないが、ここで一人、彼はどんな気持ちで生活をしていたのか。社長は「警察の現場検証はもう終わってるし許可もとってあるから、とりあえず家族の連絡先になるようなものを探そう」と言い、たんすや押入れなどを開けようとした。だがそこではたと立ち止まり、「何か、悲しいな」と言った。
二人で色々と捜したのだが、一向に連絡先なるものが見つからない。こういう時は大抵連帯保証人に連絡を取るらしいのだが、すでに連絡を取っていた社長によると「もう絶縁してますから今後一切連絡を取らないでください、だってよ。遺体も引き取らねえってさ。何なんだよ」ということだった。絶縁状態だったらしい。お嬢さんが一人いるらしく、そのお嬢さんからの年賀状が仏壇の裏に重ねてあった。一番上のはがきの年号は1999年だった。それ以外は特にめぼしいモノが見つからず、結局そのままアパートを後にした。
遺体を引き取らないのだから、家財道具や家具なども引き取らないということなので、結局大家さんの希望で、その日のうちに業者を手配して産廃扱いすることになった。作業の立会いに再度アパートまで赴き、作業終了後にもう一度確認のために一人でその部屋に入った。主と道具を失った何も残っていない部屋はただただガランとしていて、人の生活臭はもはや微塵もない。やりきれない思いを禁じ得なかった。あっけなく終わる人一人の一生。それでも時は流れ続け、我々は生き続ける。社長によれば、ここ数年の間でよくあることなのだという。よくあることってどういう事なんだと思ったが、新聞の記事とかでしか読んだことのなかったことが自分の身近で起きて感じられた出来事だったな、と。

最終的にこの事務所は自宅の引越を機にやめた。その後、本業の翻訳で何回か不動産関連の案件を担当したことがあったんだけど、ここでの経験が非常に役立った。

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2 thoughts on “翻訳以外の仕事の話”

    • >ふわもこさん
      結局この頃に築いた人間関係が今でも何かと続いているってのはそれはそれでひとつの財産なのかなと思ってます。

      Reply

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