先月中旬から担当していた仕事についてなんだけど。
まあよくあることなんですよ、これが初めてってわけじゃなくて。こういうバックレ案件てのは。ここでいう「バックレ案件」の定義だけど、要は「翻訳者が途中で案件を投げ出しちゃって音信不通状態で案件は宙ぶらりん状態で関係各者は困り果てている(当の翻訳者を除く)」状態っていうことです。実によろしくない状態。
で、こういうのってまあ年に数回遭遇するんだけど、毎回毎回思う。前任の翻訳者は一体何やってんだよ、と。行程計算間違えて「できます!」を「やっぱり無理!」に変えただけでなくて、そのまま音信不通になっちゃうとか、一体何考えてんの?っていう。それでもそれ(翻訳)で飯食ってんのかよ、っていう。馬鹿か、本当に。それで結局その宙ぶらりん状態案件が、例えば自分のような別の翻訳者のところに持ち込まれ、そしてこっちが苦労するっていう。まあ断る自由もあるんですけどね。それはこっちの問題なんだけど、それにしても、ねえ。どうなの、人として。百歩譲って、「やっぱり無理!」を受け入れたとしても、音信不通になるとか意味がわかりません。そういう人は今すぐやめてほしいと思う。その方が自身のため人のためってもんです。
で件の案件、文字起こし+翻訳のクロスチェックを担当したんだけど、とにかく各ファイル到着するのが遅れ気味で、まあ大変なコーディネーターさんに同情しながらやっていった。二転三転と翻訳者が変わりながら訳された訳文はそれまでの変遷を物語るようなもので、セクション毎に雰囲気が変わっているところもあれば、統一されているところもあったりで、とにかくチェックするにもややこしかったし、こっちで再翻訳しないといけないところも多々あった。こういう文字起こしベースの案件ってやはり元の音声ファイルの録音状態にも依存するところがあるわけで、LINE録りされていないものには手を出しちゃいけないなと痛感。あと、各所でイディオムが直訳されていた部分もあって首を傾げざるをえないところも。例えば、話者の「If the world is our oyster…」と言っているところが「もしも世界が牡蠣だったら」と訳されていて、とりあえず呆れを通り越して笑ってしまった。違うだろそれは。直訳にもほどがある、まったく。
このIf the world is one’s oysterっていうフレーズはシェークスピアのMerry Wives of Windsorという作品に由来している。ちなみにLONGMANを引いてみると、「The world is your oyster: Used to tell someone that they can achieve whatever they want」という定義で、Oxfordだと「there is no limit to the opportunities open to you」となっている。要は「世界は自分の思うまま」とか「全てのチャンスや機会が開かれている」といった意味になる。なぜOysterなのかというと、シェークスピアのMerry Wives of Windsorの中で、”Why, then the world’s mine oyster which I with sword will open”というセリフがあって、日本語訳では「ではこの剣にもの言わせ、貝のごとくに閉ざしたる世間の口をこじあけて、真珠をちょうだいするのみだ(ウィンザーの陽気な女房たち、小田島雄志訳、白水Uブックス)」となっている。固く閉ざされた貝の口を剣でこじ開けて、中身を俺のものに!というところから派生した慣用句なのだろう。現にOysterという語をリーダーズ英和辞典で引いてみると、「思うままにできるもの、利益の種、もうけ口、好きなもの、おはこ」という定義がある。
まあこういうイディオムはなかなか難しかったりするのはわかるけど、その前に何で疑問を持たなかったんだ?と首を傾げた。「もしも世界が牡蠣だったら」なんてまったくもって意味を成していない。察するに、推敲していなかったんだろうというのと、せっつかれて大変な中で訳していたんだろうってことと、あとはもともとの技量の問題かとも思う。いずれにしろ、「牡蠣だったら」と思ったとしてもそこで「ほんとかよ?」と疑いもせずに訳しきってしまうあたり、自分の反面教師として胸に刻んだ(ここで書いてるけど)。
とにかく。
案件ほっぽらかしてバックレはダメ、絶対。
それでもその前任者とやらも何らかの選考に合格して採用されたのよねと思うと頭を抱えます…。
ふわもこさま
年に数回、こういう案件が自分の手元にやってきます。
断っているものをのぞいて、ですが。頭抱えるものが多いです。