デジタルヒューマンに思ふ。

デジタルヒューマンなんですよ、とりあえず。そのへんのことを調べる機会がちょっと増えたので、雑感。

最近巷を賑わせている技術として、まあ最近というわけでもないんだろうけど、デジタルヒューマンというものがある。一体何なのか、うっすらと浮かんでは来ると思う。

デジタルな人間。AIと親和性が高そう。CG?

確かに、本物?と見入るくらいに自然な人間味を備えている。一昔前のカクカクっとしたCGっぽさなどどこにも見当たらない。

まあとにかくリアル。人形ロボットやアンドロイドに対して、人間として感じる「違和感」である「不気味の谷」(中途半端な人間度合いを気持ち悪く感じる感覚)をも超えてくる勢いを感じる。不気味の谷、というと、どうしてもこの動画を思い出してしまって笑っちゃうんだけど。

機械じかけのスーパーコントである。まあこれをここまで実現できる技術力はすごいのだけれど。

最近のデジタルヒューマンはいわゆるこの不気味の谷を超えてきている。個人的にもそう感じる。要は、「自然」なのだ。Google翻訳より自然な訳文を出力するDeepLみたいに、3DCGによる自然な人間味を持っている。自然であれば、当然人間側としては受け入れやすくなる。発話や会話が若干不自然であっても、会話の内容に即した感情表現を実現できれば、受け入れやすい。

代表的なデジタルヒューマン軍団を挙げてみる。

Saya

Sayaは日本出身の17歳。TELYUKAという3DCGアーティストのユニットがプロデュースしているので、他のデジタルヒューマンに比べると、アート志向が強いという気がする。現在Sayaプロジェクトが進行中で、近い未来に「空港で、スマホで、デジタルサイネージで、TVで。日本に来るお客様を、Sayaがお迎えし、ガイドする日が来るかもしれません」とのこと。情熱大陸にも出演していたので、目にした人も多いかも。

Soul Machines の Sam

Soul MachinesのSam。Sayaより年上でハキハキしている印象。ちなみにこれは新型コロナウイルスに関する質問を受け付けてそれを返してくれるというデモ動画。

UneeQ の Sophie

UneeQのSophie。上の二人から比べると、なんというか少し柔らかめな印象。実際に対面して話す場合、個人的には話しやすい雰囲気に思えた。

何でも2020年はデジタルヒューマン元年だそうで、各社取り組みや展開が活発化している。ここまで来ると、デジタルヒューマンは、ニューノーマルで標準的に受け入れられている非接触時代の到来にふさわしいツールになり得るだろうと思う。無機質なチャットボットより、目の前に相手が現れて、会話のコンテキストに即した表情で対話をしてくれた方が、こちら側としては共感しやすいし、受け入れやすい。AIをベースとした発話機能+ナレッジの豊富さと組み合わされれば、デジタルヒューマンはとても魅力的な非接触インターフェイスになり得る。となるとやはり、今後デジタルヒューマンが色んな所にお目見えする可能性は高いんだろうなと思う。

だけど我々、消費者サイドは、デジタルヒューマンに何を見るのだろう。

不気味の谷を軽々超えてくるそのリアルさ、なのか。デジタルではあるものの自然に受け入れられる感情表現、なのか。それとも、きちんと欲しい情報を返してくれるという信頼性、なのか。

例えば顧客対応窓口に、デジタルヒューマンが導入されたとする。そこへアクセスする顧客は何か問題や課題を抱えていて、その解決を望んでそこにアクセスしているため、一連のプロセスにおいては、デジタルヒューマンの見てくれより、自分の問題解決=目的達成が優先される。極端な話をすれば、デジタルヒューマンがどんな見てくれでいようと、顧客体験がスムーズで満足の行くものであれば良い。自分だったら、そう思うかもしれない。が、そこにプラスしてデジタルヒューマンがとても自然で、不気味の谷をも超える見てくれでもって、そして発話もそこそこスムーズである場合、顧客満足度はより上がる。デジタルヒューマンが、一緒に困ったような顔をしてくれて、提案時は笑顔で、そして一緒に笑ってくれれば、顧客との間の感情的な結びつきにより共感が生まれる。

でもそれは、デジタルヒューマンがいわゆる見てくれだけでなく、きちんと「仕事ができる」(問題解決)場合。顧客対応とかそういったビジネスの場におけるデジタルヒューマンでは、見てくれがいくら美しく不気味の谷を超えてきているとしても、本来の業務(顧客対応)が(AIでも何でもいいけど)きっちりしていなければ、お客さんの足は遠のく。結局、目的が達成されればOKなわけで、ビジネスの場ではそこそこの見てくれできちんと仕事をしてくれるデジタルヒューマンの需要があるのかなーという気がした。

そこで日本市場なんですが。

日本って特異。自分の浅い観測範囲で恐縮ではありますが、やっぱり日本って「若い」「カワイイ」「アニメっぽい」「幼い」女子がフィーチャーされる傾向が強いよね…どうしてもそういう方向へ行ってしまうきらいがある。かっちりとしたビジネスの場にはあまりそぐわないし、幅広い年齢層の顧客を相手にするというニーズに目を向けたときに、果たしてウケは良いのかちょっとわからない部分がある。じゃあかっちりとした雰囲気の外国人キャラをそこに投入すれば?という策もあるかもしれない。それはそれで、「自分が表現するものには外国(ほぼ欧米)風味を取り込む」一方で、「自分と対面する相手が日本人以外のナニカ」となると突然距離を置く、という日本人のこれまた面白い特徴があるのだ。日本人はどうしても「本当に日本人かどうか」にこだわるところがあるため、少しでも日本人ぽくないと「ハーフじゃない?」「何人?」となってしまう傾向がある。したがって、日本市場では、一目で「ああ、日本人ね」と思える雰囲気のデジタルヒューマンの展開が必要なのでは?と思っている。ここで差別とかそういった意識というエリアに踏み込むのは避けるけれど、デジタルヒューマンの導入が国民性+文化にまで発展するというのもとてもおもしろく、示唆がある。

Sayaは大変にアーティスティックな方向で、17歳の女子高生が「みんなに寄り添える」ような存在になるのかどうか、興味深いところ。Soul Machinesは、本当にリアルなものを作っているんです、どうです?みたいな感じ。そしてUneeQは、親しみが感じられるデジタルヒューマンですよ、という雰囲気で、手軽にビジネスに導入できるデジタルヒューマンを展開している気がする。個人的には、日本市場に導入するのであれば、UneeQの親しみやすくて手軽なデジタルヒューマンが良いんじゃないかなーと思っているけど、Sayaみたいな方向性でよりビジネスに特化できそうな、いわゆる、少し年齢の高い落ち着いためっちゃリアルなデジタルヒューマンが出てきても面白くなるのではと思った。

個人的には、アンドロイドがもっともっとリアルになって身近になる社会も面白そうだな…と思っているんだけど、果たして世界はどうなるか。

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