結局今年ももう年の瀬で、12月31日になってしまっているのだった。
なんてったって今年は個人的激動の年ではあった。関東を初めて出て暮らすことがその一番のイベントだったと思う。4月に引っ越しをした。引っ越しは2年ぶりで、それまで暮らしていた場所が気に入っていただけに、なかなかに苦渋の決断だった。まあでも義両親の老いという、なんとも抗えない要素があったため、泣く泣く引っ越しを決断した。それが今年の春、4月の話。そこから今まで、結構ドタバタだったので、何があったかとか詳しく思い出せない。思い出せないわけではないと思うが、思い出そうとすると一気にいろいろ頭の中にうわーっと上がってくるので、整理する気にもならないと言うか。というわけで、その頭の中に浮かんだことをそのまま書いていく。ただひたすら書いてみる。まあこれは自分のオウンドメディアなので、何を書いても良いのだ。
常に書きたい気持ちはあった。何って、このブログである。だけど別の場所で、仕事ではあるんだけどちょこちょこ文章を書いていると、そして普段からかなりまとまった分量の文章を日本語英語問わず書き続けていると、それなりに脳みそや思考、感覚などのリソースがそちらに取られてしまい、残念ながらこっちに何かを書くモチベが残らなくなってしまっている。というか、「モチベが残らなくなる」というのは違うかもしれない。モチベはある。モチベはあるのだが、書こうという気にならないと言うか、書くという行動に移るまでに至らないというか。もちろんわかっている。たかだかそんな気持ちで、書くことが好きだなどとは到底言えないに決まっているのだ。それを思うとちょっと気恥ずかしくなるのと同時に、自分のメディアなんだから何をどうしようと自分の勝手であり、特にオーディエンスがいるわけでもないのだから何だっていいだろう、と囁いてくる自分もいる。そういえば、ようやくPCが一般に普及し始めた高校時代、タッチタイピングの練習と称してPC室でPCをいじりながら、ワープロソフトで小説もどきを書いていたことを思い出す。WORDではなくて、一太郎だった。懐かしい。一太郎で書いた小説もどきを、試しにクラスの一人に「読んでみる?」と持ちかけたら、そのコミュニティの奴らみんな読み出して、めでたく「読者」がついたのだ。たぶんこれが、自分史上初の「メディアのようなもの」だったのだと思う。インターネットが走り始めた時代で、ブロードバンドもまだなかった時代。ブログもSNSも、影も形も存在していない時代だった。その後、書き溜めた小説は担任の目に留まり、なぜか印刷して限定50部で書籍化された。そのうちの一冊が今も本棚に収まっている。ちょっと開いてみたが、とても読めたものじゃない。だけど、あの頃に影響を受けていたものとか、聞いていた音楽とか、冬の夕方の教室の暗さとか、放課後のざわつきとか、雑多な町田駅前とかが一気に思い出された。文章とか言葉とか、音楽とかもなんだけど、それを初めて目にしたときとか耳にしたときの風景がうっすら浮かぶのすごいなと。
そこで視点は、20年前から現在に飛ぶ。今やそんな高校生時代に書いたようなレベルの代物は、生成AIで如何様にでも生成できる時代になった。生成AIの仕組みを考えれば、生成されるものを「小説」などと呼ぶことは果たして許されるのかどうかという議論はあるにせよ、文章を加工してまとまった分量の文章を生成したり、大量の文章を分析してそこに意味のある分析結果を生成したりすることに感しては、生成AIの力は確かにものすごいものがある。今や音楽でさえ生成できる時代。そう言えば最近の隠れた趣味は、生成AIで音楽を生成することなんだけど、これがかなり面白い。ツイート2つ分くらいの分量のプロンプトと曲調を決めるキーワードを入力すると、歌詞と曲を数秒で生成する。そこそこ聞ける曲になるので、手軽に生成させているうちに、やめられなくなってしまい、最近では課金を真面目に考えてしまうほどだ。で、迷惑・めんどくさい共通の知人を面白おかしくテーマにした曲を友達に披露していくうちに、彼らもいわゆる「作品」をいちいち評価してくれるオーディエンスとなってくれ、結局ここでも小説を描いていた頃の高校生の時みたいな現象が起きている。プレイリストにまとめてアルバムまで作ってしまった。まあなんだか面白い世の中ではある。本当に課金しようかどうか迷っているが、果たして生成AIで作る音楽は作曲した音楽と言えるんだろうかとそんなことも思う。一方で、生成AIが吐き出す音楽ばかり集中して聞いた後に、時代を造ったような名曲を聴くと、「やっぱ人間ってすげえな」と思う。これ、かなりおもしろい発見で、やっぱり表現者としてのアーティストが表現したいという想いとモチベをかけて作った曲には、何か来るものがある。ついついこんなポストをしたくらいだ。
そうそう、X(旧Twitter)をほとんど使わなくなってしまった。マスクに買収されて以来、なんだか足が自然と遠のいてしまったのだ。SNSとの付き合い方がどんどん変わっていってる気がする。
あと、久しぶりにヨーロッパに行った。気のおけない友人たちと一緒に回るヨーロッパだった。スーパー面白かったしウケた。笑った。まあ義理の母の骨折とか風邪ひいたとか「独りで帰れって言われれば帰れる」って言ったりとか刺激的すぎるフランスのCh10とか羊好きの現地在住知人にいきなり置いてきぼりにされたりとかいろいろあったけどすべてひっくるめてこれまでにない旅ではあったのだ。Vietnam Airline、UberEatsのお兄ちゃんたちの「ボナペティ」、リヨンの彼、RER、TGV、パリ市民、ポートロワイヤル、パン・オ・ショコラ、クロワッサン、草、鶏粥、鶏モモの照り焼き、モノプリ、エッフェル塔までの疾走。また行きたい、行こう。書く気になったら旅行記、書くかも。昔はよく書いてた。
というわけで、去年に引き続いてまったく年末年始感のない大晦日ではあるが、とりあえず年に一度のブログ投稿となってしまった。なので、タイトル通り来年は「年一エントリからの脱却」を目指して、書いていこうと思ってる。これ、去年の今日にも同じこと書いてるんだよな。まあ良い。書けばよいのだ。今年も一本駄文を書けたんだから、書けるだろう。また来年。暖かくお過ごしを。
Be First to Comment